G A L L E R Y - T A T S U M I
 | ホームページ | 最新の日記 | 月別日記一覧 | 過去の日記 |

つれづれ日記

+ 2002年12月22日(日) 盛りだくさん小皿
桃は中国ではおめでたい果実とされ、天界でも食すると不老長寿を約束されるものとして珍重されていました。

その栄養価も高く、甘くジューシィな果肉が、この世のものとは思えないほど美味であると、古人も感じたことでしょう。

桃をかたどったお皿は数々ありますが、この変形のお皿は、じつに盛りだくさん。

春・夏・秋の植物達・・そしてちょこんと竹に留まったツバメの愛らしさ。

ほっとするような、そしてわくわくするような盛りだくさんのお皿です。

+ 2002年12月20日(金) 宝珠の香合
龍と龍が追いかける火の玉とは古伊万里の図柄でもよくセットとして扱われます。

龍が好むといわれているこの火の玉のことを「宝珠」といいます。

宝珠は元々仏教のもので、悪を除き、濁水を澄ませる徳があるといわれ、願い事がかなうとされました。

天翔る龍もどうしてもこれが欲しかったのでしょう。

御めでたいその図柄を染付けであしらった美しい香合があります。

練香(ねりこう)を入れて使いましょうか。

初釜が終わった頃のお稽古始めに。

+ 2002年12月14日(土) 忠誠心
時は元禄15年(1702)12月14日。

主を失い、お家断絶の憂き目を見た播州赤穂の浪士47名は江戸の
吉良邸に討ち入り、見事に本懐を遂げました。

主人への忠誠心を、あだ討ちという形で見事に表した英雄達として、
彼らは後世に名を残すこととなりました。

「馬は死んで皮を残す。人は死んで名を残す」

とはよく言ったものです。

戦乱の世で無かったことは、彼らの忠誠心が無駄にはならなかった一つの原因でしょう。

ここに、実の兄への深い忠誠心にもかかわらず、戦乱の世であったために、その命を奪われた無念の弟の武者姿の絵皿があります。

黒毛の馬に騎乗した、その凛々しい姿がなぜか悲しく思えませんか?

(義経千本桜の図 小皿)

+ 2002年12月10日(火) 寿字地紋寿老人の小皿
縁起の良い神様として、私たちの生活のお願い事のアイドル的存在である、「七福神」を知らない方はいらっしゃらないでしょう。

けれども、すべてのメンバーの名前を言える方は、案外いらしゃらないかもしれません。

恵比寿・大黒・毘沙門天・福禄寿・弁財天・布袋・そして寿老人

それぞれ、室町時代の画題の竹林の七賢人をなぞらえて、七体の福神を
取り揃えたのが始まりとされています。

インドのヒンドゥー教や中国思想からキャラクターが選ばれ、日本的な神様にアレンジされているのが七福神の特徴です。

なんとも国際的でグローバルな神様達。室町の人々も意外と国際派でしたね。

ここに寿老人が賑やかに描かれている小皿があります。

なんともハッピーな気分になりませんか?

(寿字地紋 寿老人の図小皿 江戸後期)

+ 2002年12月8日(日) パールハーバー
1854年、ペリー来日によって250年にも及ぶ鎖国から目覚めて以来、
日本は戦争に負けることを知りませんでした。

それから百年後。

1941年12月8日、日本側が仕掛けた、真珠湾攻撃によって、第二次世界大戦の火蓋が切られました。

しかし、この第二次世界大戦は、被爆という大きな犠牲を払った上に、日本側の敗戦という悲惨な結果をもたらしたのでした。

初めて日本は戦争に負けたのです。

そのおかげで、日本は民主主義国家となりました。

黒船にぺりーが乗ってアメリカからやってきてから百年後、ようやく日本は民主主義という名の下に動き始めたのです。

そして今、「日本丸」はナビゲーター無しで荒れ狂う冬の海を
迷走しはじめているようです。

(古伊万里 帆船の図小皿 江戸後期)


Page No.[1][2][3][4][5][6][7][8][9][10][11][12][13][14][15]
 copyright(c) GALLERY-TATSUMI  Powerd by - Web Diary 1.10 -